合戦などの戦闘に適した切れ味のするどい日本刀として知られている「村正(むらまさ)」は、室町時代の刀工としてその名が知られております。「妖怪村正」とも呼ばれる「村正」の刀剣は、室町の戦国の世に必要とされた大量の武器を量産した刀工集団であったと言われております。
「村正」の刀剣は、徳川家にとっては悲劇の刀剣として、「妖怪村正」などと呼ばれたとの所以もあるそうです。「村正」は膨大な量の刀剣を生み出したと同時に、戦闘で破損した刀剣の修理を請け負っていたと言われております。
それだけ当時、多くの武士たちが「村正」を手にしてしていたということが、徳川家の悲劇を生み出したのかもしれませんが、徳川家を襲った歴史上の不祥事には、偶然にも「妖怪村正」が用いられたと言われております。このような噂が広まったことから、「村正」を手にしていた奉行の一人が、徳川家に対して謀反を企てているといった疑いをかけられた折に、その家が取り潰されてしまったというお話しも残されているようです。
さらには1668年の戊辰戦争では、有栖川宮熾仁親王が江戸城の戦略に向かった際には「村正」を帯刀していたと言われております。日本の歴史のなかで数々の名刀が、後に語り継がれる時代の渦中を目撃したようです。「村正」は、移り行く時代のさなかでどのような歴史の真実を目にしたのでしょうか。